大判例

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東京高等裁判所 昭和33年(う)1775号 判決 1959年2月17日

控訴人 被告人 玉重雅雄

弁護人 鬼倉典正 外一名

検察官 池田浩三

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意については、弁護人鬼倉典正、同岡和男が差し出した控訴趣意書の記載を引用する。

所論はまず、原判決には罪となるべき事実を認定した証拠の標目が全く示されていないから、判決に理由を付さない違法が存するというのであるが、原判決は右証拠の標目の示し方等について通常の体裁にしたがつていないため誤解を招くおそれがないとは言えないにしても、原判文を通読すれば、原判決は少くとも司法巡査菊地次男の犯罪事実現認報告書、証人菊地次男、同小林豊作および同小山正宗の各証言ならびに現場検証の結果を原判示事実認定の証拠として示した趣意をうかがうことができるから、右論旨は理由がない(以上の判断により控訴趣意第一点の二に対する判断はその必要がないことになるからこれをしない)。

しかし、本件において被告人が原判示のとおり小型貨物自動車を運転して西武線踏切を通過するに際し一時停車をしなかつたことは被告人の認めて争わないところであるけれども、記録によれば、被告人は、本件踏切前で一時停車をして安全かどうかを確認するため速度を減じて遮断機の手前にさしかかつたとき、すでに遮断機の開閉装置に手をかけて当該軌道を走る電車の通過に対し待機の姿勢にあつた踏切警手があごを動かして「通れ」という趣旨の合図をしたので、安全であることを確認し一時停車をしなかつたものであると捜査、公判を通じ弁解をしており、右弁解を含む被告人の供述は原判決挙示の前記各証拠に照らし信ずるに足るものと考えられるので(右踏切警手の合図の点は事件発生当時本件を検挙した菊地次男巡査により記録された犯罪事実現認報告書の記載の存在により動かすことのできない事実で、事件から半年余を経過した原審公判において、右菊地巡査は、当然とは言え、なお明瞭に右事実を認めているのに反し、当時の踏切警手であつた小山正宗はこの点に関し「記憶がない」と証言してはいるが、それだからといつて、右事実の真実性に動揺を来たすものではない。現場検証の結果も被告人と踏切警手との間における合図のやりとりの不可能でないことを物語つていると認められる。証人小林豊作の証言はこの点に関係はない。)以上の各証拠を総合し前記弁解の事実を十分に認めることができるうえ、このような場合は道路交通取締法第一五条但書にいわゆる「その他の事由により」安全であることを確認した場合にあたると解するのが相当である。(前記法条但書にいわゆる「信号人」の中に踏切警手を含むとは解しがたいから、本件が「信号人の指示により」安全であることを確認した場合にあたるとは言えない。けだし、道路交通取締法はいうまでもなく道路における交通の安全を図ることを目的としており、たとえば同法に規定する「信号機」の意義については、同法第一条第四号第四条等により、それが道路の交通に関する装置であることを明らかにし、公安委員会又はその委任を受けた者に限りこれを設置し又は管理することができるものとしていること、また「当該警察官」についても、同法第五条道路交通取締法施行令第三条等において、道路を通行する歩行者車馬又は軌道車に対しその指示を行うことを規定していることなどにかんがみ、以上の「信号機」、「当該警察官」なる各文言と同列に規定されている「信号人」の文言もまた当然道路の交通に関し取締のため指示を行うことをその職能とする者に限ると解するのが相当であると考えられるのに対し、鉄道又は軌道の踏切警手はもつぱら当該鉄道又は軌道の上を走る列車、電車等の通過の安全を看守することをその職能とする者であるに過ぎないからである。しかしながら、たとい道路交通取締法にいわゆる「信号人」の指示でないとしても、本件のように、当該踏切を通過する電車の安全を看守することを職能とする踏切警手が、すでに遮断機の開閉装置に手をかけ電車の通過に対し待機の姿勢にあつてその警戒に注意を集中している際当該踏切を通過しようとする道路上の車馬の操縦者に対し「通れ」という趣旨の積極的合図を与えた場合、右車馬の操縦車がこれを信頼しただちに同所を通過することに何ら危険がないと考え一時停車をしなかつたときは、これを前記法第一五条但書にいわゆる「その他の事由により」安全であることを確認した場合にあたると解しても、何ら法の趣意――鉄道又は軌道の踏切を通過する車馬又は軌道車と列車、電車等との衝突等の危険を防止するため当該車馬又は軌道車に対し原則として一時停車して安全を確認すべき義務を課した――にもとるものではないということができるであろう。けだし、前述の場合における踏切警手の合図は、客観的な安全確認の資料として、信頼し得べきものである点において、右法条但書に明示した「信号機の表示、当該警察官又は信号人の指示」に比し性質上少しも劣るところはなく、これに準ずるものとして考えられるからである。なお、本件において、被告人の供述によれば、被告人が前述のように踏切警手の合図を受けたとき、その操縦する車が踏切の二メートルぐらい前にしるされてあるいわゆる停止線の位置をあるいはすでに若干越えていたかも知れないことが認められるのであるが、このことは前記法第一五条違反の問題には直接かかりあいはない。ただその停止線が設けられた法規上の根拠に基き当該法規の違反としての問題を生ずるのみに過ぎない――道路交通取締法第五条、同法施行令第六条参照。)したがつて本件は原判決挙示の各証拠によればいわゆる法定の除外事由が認められる場合であるにかかわらず、原判決がその判示のように右事由がないものとし前記法第一五条違反の事実を認定したことは、判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認を犯したばかりでなく、結局判決の事実理由と証拠理由との間にくいちがいがある違法さえも存するといわなければならない。よつて論旨は理由があるから、刑事訴訟法第三九七条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書の場合にあたるので当審において自判することとし、本件は犯罪の証明がないものとして(本件は結局犯罪事実がなかつたことが認められる意味において「犯罪の証明がない」ことになる。本件においていわゆる法定の除外事由がないことは刑事訴訟法第三三五条第一項の罪となるべき事実に属し、右事由のあることは同条第二項にいう法律上犯罪の成立を防げる理由にあたらないと解するから、本件はいわゆる「罪とならない」場合ではない。)同法第三三六条にしたがい被告人に無罪の言渡をする。

(裁判長判事 足立進 判事 山岸薫一 判事 下関忠義)

弁護人鬼倉典正外一名の控訴趣意

第二点原判決には(イ)理由にくいちがいがある違法が存し、刑事訴訟法第三百九十七条第一項、第三百七十八条第四号後段により、原判決は破棄せらるべきであり且つ(ロ)判決に影響を存ぼすことが明らかな事実の誤認があり刑事訴訟法第三百八十二条第三百九十七条により原判決は破棄せられるべきである。

一、原判決は、「被告人は一時停車をしなかつたことは事実ですが踏切番から通れと合図があつたので、安全を確認して通つたものであります、と弁解するが」挙示の各証拠により、「被告人の右弁解の事実は認め難い」、として被告人を有罪としている。

二、よつて、原判決の右判断について挙示の各証拠を検討するに司法巡査菊地次男の犯罪事実現認報告書及び証人菊地次男の供述を総合して、踏切番が被告人に対し、手を振つてにせよ、或いは顎を左右に動かしてにせよ、とに角、通れとの合図をなしたことは、何人と雖も疑を容るるの余地なく肯認し得るところである。

三、証人小山正宗はその供述において、被告人に対して通れと合図したかどうか記憶がない、と述べている。

然し、踏切警手として、一日に二十時間十分程の間勤務し、列車交通の最盛時には頻繁に遮断機の開閉を行い、その間に一般交通の規制をもなさねばならぬ証人が、偶々多数の通過自動車の内の一台に対して合図をしたか否かにつき、事件後約七ケ月を経て、法廷において証言を求められても、記憶がないと述べるのは寧ろ当然であつて、同証人の「記憶なし」という趣旨の証言は単純な記憶喪失を意味し、右証言のみから、同証人が被告人に対し合図をしなかつたという事実を認定することは、論理上、経験上の法則に照して不可能と断じてよいであろう。

四、証人小林豊作の証言及び現場検証の結果は、右合図の有無については何等の関連がない。

五、以上、原判決の前記判断についての挙示の全証拠を総合して本件事件当時、現場において踏切警手をしていた小山正宗が被告人に対して、通れという合図をした事実は明らかに認められるのであつて他にこの認定に反する証拠は全く存しない。然るを、被告人の弁解の事実は認め難し、となす原判決には、正に「理由にくいちがいがある」違法が存し且つ判決に影響を及ぼすこと明らかな事実の誤認あるものと断定せざるを得ない。

六、なお、検証調書添附の合図を見た地点から踏切小屋を撮影した写真をみると、同小屋の前に立つた人物は非常に小さく写つており踏切警手が顎を動かして合図をしたのでは、被告人には認識し難かつたのではないか、との疑問が浮ぶが、これは所謂標準レンズと呼ばれるもの(三十五ミリメートル判カメラで焦点距離五センチメートル、セミ判乃至六・六判カメラで同じく七・五センチメートル)で撮影せられているためであつて、この種の写真では、距離が距たるに従つて被写体は写真画面上においては急激に小さく写ることになるのである。事実は、右両地点間の距離は、右検証調書に明らかな如く、十八メートル程であつて肉眼では、人物は充分大きく見え、顎による合図であつても、認識可能であつたのである。

第三点原判決は、法令の適用に誤があつてその誤が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、刑事訴訟法第三百九十七条第一項第三百八十条により破棄せらるべきである。

一、原判決が前記被告人の弁解に対する判断を示すに当つて、右記合図の有無という事実については勿論、本件犯罪事実についても何等の事実を述べていない、証人小林豊作の供述を挙示していることより推測するに、原判決は、或いは、踏切警手が合図した事実は存するが、尚且つ、一時停車をしなかつたことは道路交通取締法第十五条に反するものとして被告人を有罪となしたものとも考えられる。

二、然りとすれば、原判決は、右小林豊作の供述により、道路交通取締法第十五条但書(以下本条という)の「信号人」の解釈を謬つたものと言わねばならない。

三、本条に所謂「信号人」は明らかに踏切警手を指すものであつて、このことは、一般の道路通行に関する同法第五条、第六条においては交通者に対する指示権限を有する者は当該警察官のみとされているのに対し、本条においては「当該警察官又は信号人」が指示権限者とされていることよりして明らかである。即ち、一般道路の場合には存在せず、踏切にのみ特有の交通規制者と言えば、踏切警手以外には考え得られないのであつて原判決が、踏切警手を本条に所謂「信号人」に非ずと解したとすれば、果して何を以てこの「信号人」なりと考えたのか、常識を以てしては、全く不可解と言わざるを得ないこととなる。

四、証人小林豊作の供述は、法令解釈に関しては、単なる参考意見たるを出ずる能わざることは明らかであるが、一応、同人の供述に対し、左に反論を述べる。同人は、踏切警手は、通行人に対して停止せしめることが出来るだけだと述べ、又、そのなし得る機宜の処置というのは、列車又は車輌に対するもののみであつて、通行人に対しては何事をもなし得ぬものと述べ、以て、同人が踏切警手を信号人と解さぬ根拠となしている。果して然らば、踏切警手は、遮断機を閉鎖せんとしている際に、既に軌道内に入つている通行人等に対して如何になすのであろうか。未だ軌道外にある者にしては停止せしめるだけで可であろう。小林証人の言う如く、踏切警手は停止せしめる権限しかもたぬものとすれば、右の如き場合軌道内の者に対しては、踏切警手は、ただ拱手傍観してその牛歩するに任せ、事故の発生を未然に防止するための権限を有しないのであろうか。機宜の処置が列車等に対するもののみなりとすれば、例えば自転車が軌道内において転倒せる場合の如く、その除去は簡単であつても、その際列車が進行して来たならば、踏切警手としては、自転車はそのまま放置して、多数乗客を乗せて進行している列車等を急停車せしめねばならぬものとなすのであろうか。一般交通と列車交通の交叉する踏切において交通を規制する責務を有する踏切警手について、一般交通に対しては、何等なす所なきものとなす考えの如何にナンセンスなものであるかは斯の如き二・三の事例を思い浮べただけでも充分明らかであろう。

五、以上に明らかな如く、踏切警手は正に本条に所謂信号人に当るものと言わざるべからざるものにして、然ればこそ、古くより判例において、踏切警手に重大なる注意義務を課している(大正十年一月十七日大審院刑事部判決、大正七年五月廿三日大審院民事第二部判決、昭和七年五月五日大審院刑事第一部判決、昭和十三年十一月十六日大審院刑事第五部判決参照)ことも亦正当と言い得るのであつて、若し、踏切警手が、本条の「信号人」にも非ざる木偶の如きものなりとせば、これら判例は誠に以て、酷なるものと言わざるを得ないことになる。

六、即ち、本件被告人は、自動車を運転して踏切を通過しようとしたとき、信号人である踏切警手の指示により安全であることを確認したので、一時停車をしかけたのを、そのまま通行したものであつて、正に道路交通取締法第十五条但書に該当し、無罪とせらるべきを、原裁判所は、右法令の解釈を誤つて、同条本文を適用して被告人に有罪判決を言渡したものと考えられ、この法令適用の誤は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから右判決は被棄せらるべきものと思料する。

七、百歩譲つて仮りに本件踏切警手が道路交通取締法第十五条但書に所謂「信号人」でないと仮定しても本件証拠に照らし被告人が本件踏切の手前で停止しようとしたところ本件踏切警手がそのまま通過するよう指示又は合図をなしたので被告人は更に除行しつつ自からの眼と耳で安全を確認し通過したことが明白であるから被告人の本件処置は、道路交通取締法第十五条但書に所謂「その他の事由により安全であることを確認した」ことに該り無罪とせらるべきを原審は法令の適用を誤まり同法第十五条但書を適用せず被告人に対し有罪を宣したが右法令の適用の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は破棄せられて可然ものと思料致します。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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